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与えるエネルギー・受け取るエネルギー

宇宙は無限の可能性、物、人、力、豊かさを与えてくれています。
“本当の私”が受け取るときや与えるものとは、宇宙からやってくるこの無限のエネルギーのことです。


たとえば誰かを、【自己犠牲の精神】で助けたとしたら、それはその人のためになりません。

自己犠牲で与えたものは、エネルギー的に【奪われた】形となり、その相手は、エネルギーを【奪った】形になります。

その結果、奪った人も、奪われた人も、その分の帳尻をどこかで合わせなければならなくなります。
単純にエネルギーの法則です。実際の価値や価格に関係なく、自分自身の内部でのエネルギーバランスです。

奪ったり奪われたりするというのは、エネルギーバランスが崩れているということであり、そのまま行動すれば、さらに新たな欠乏を生むことなる、ということになります。

【与えること】と、【奪われること】は同じではありません。

同様に、【受け取ること】と、【奪うこと】も同じではありません。


本当の意味での【与える】とは、与える人が『大いなるすべて』からの祝福を受け、与えることそのものが喜びとなっています。ソースから無限のエネルギーを受け取っていますから、疲れもしませんし、何かが減るということもありません。かえって、元気になり、豊かにもなっていくくらいなものです。


そして、本当の意味での【受け取る】とは、与える相手がそれを望み、自らの喜びとしてそうしている結果として、自分も喜び、受け取っていることです。

やってくるのは無限の宇宙からであり、それを『人の姿』で介在しているにすぎません。その本質は『大いなるすべて』からの恩恵のエネルギーなのです。

他人から奪うのは本来の受け取り許可の結果ではありません。むしろ受け取れないからこそ、他人から奪うという行為を生んでしまうのです。


相手から無償のもの、エネルギー、労力を受け取る時には、『相手が望んでいることかどうか?』が基準になります。無償のものが悪いのではなく、「相手が望んでいないことを、無理やり求める」ということが=奪うこと、です。

与える時には、『自己犠牲で望まないこと』をやろうとしていないか?と自分に聞いてみてください。誰がなんといおうと『わたしはそうしたいのだ!』と思うのであれば、それは他人からは自己犠牲に見えても、本人にとっては【大いなるすべて】とつながった状態であるのかもしれません。


どんな形であれ、相手とのやりとりがあれば、そこにエネルギーの流れが生じます。そのエネルギーの質がなんであるかを見極めて、奪ったり奪われたりしていないか問うてみる必要があります。これらの原因と結果は、両者ともに「足りない」という意識が根底にあることから生まれます。


豊かさは宇宙からやってきます。受け取り許可は宇宙にむけて放つものです。宇宙からやってきますから、誰からも奪われることなく、誰からも奪うこともなくなります。

ただあなたでいるだけで、無限の豊かさを享受できるのです。





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