旧ブログから、2008年のある日の記事を抜粋、追加して、お届けします。
「ありのままの自分を愛せ、といわれても難しい」
「ありのままの自分でいるだけで、愛されるなんて思えない」
そう思うことはありませんか。
そうはいっても、
「ちゃんとしていなくちゃいけない」
「こんな自分じゃ、愛される資格がない」
「結果を出さなければ、人は自分を価値ある存在として認めてくれない」
「なにも持っていない(できない)自分なんて、誰も相手にしてくれない」
という感じで。
人があなたを愛し、大切にしてくれるかどうかは、
「あなたが、あなたを愛せているかどうか」
これに尽きます。
外側のものなんて、なにもない。
ありのままの自分を認められないときは、
このような自分は神に近づけない、神に愛される資格が無いと感じている、
などの思いも深層心理に隠されていたりします。
これは潜在意識の底の方にありますから、
そう思っている自分に気がつかないこともあります。
そういうときは、
「私は神を愛しています」と言うことができても、
「では、神はあなたを愛していますか?」
と聞かれると、「よくわからない…」とか「いいえ」と答えてしまいます。
ここで
「もちろんです!」
と自信をもって即答できる人は、
このような深層心理は隠れていません。
神から愛されていると思える人は、
それはつまり、自分を愛せているということです。
神はあなた自身だからです。
もしも、「神は私を愛している!」 と即答できないと感じているなら、
これからお話しする意識の転換をおこなってみてください。
神は人を差別して愛する存在ではありません。
あなたが神に近づけないと感じているなら、
その罪の意識や思いを取り出し、神の前に差し出してください。
それがあるから神に愛されないと思っていると思うものを。
さて。
では、神は罪のない完璧な人だから愛するのでしょうか?
神は罪を区別して、ここまでは大丈夫だが、
これはちょっとだめ、と区別しているのでしょうか?
あるいは、神はあなたの能力やこれまでの成果を区別して、
ここまでじゃないとだめ、と区別しているのでしょうか?
もしそれを区別しているのだとしたら、
その区別をしているのは誰ですか?
「それは誰の尺ですか?」と自分に聞いてみてください。
「…わたし」と答えがでてきます。
神はそのような尺を持ちません。
すべての人を愛する存在なのです。
あなたは、愛されています。
今も昔もずっと、そしてこれからも
神はあなたを愛しています。