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命へ感謝

高次元につないだ瞑想をしていたとき、みえない声が、こう告げた。

はじめて聞く声。

「あなたにやってもらいたいことがある。
数千年も太古の昔から、我が一族が使命としてやり続けてきたことがある。
ある場所へ意識でいき、そこで会う人々に伝えて欲しいことがある」

そして意識を ”ある場所” というフィールドに飛ばされた。

3つの家族の形をみせられた。

時間にして2、30分くらいのことだったろうか。

記録に残そうとして、ノートを開く。

ああ、思い出した。

最初は、男が鶏を殺しているシーンが出てきたのだ。

次に見えてきたのは、家族でそれを食べているシーンだ。

男からは、「好きなように生きて好きなものを食べて何が悪い」という感じが伝わってきた。

”声”が言う。

「口からついて出てきた言葉を伝えなさい」

私は、いつの間にか家族の食卓の前に立っていた。

私の口が勝手に、「感謝した方がいいよ」と言った。

私は観察意識そのものであったり、
自分の姿を客観的に見たりと、いろんな視点からその映像をとらえているようだった。


小学生くらいの二人の息子たちが、
「僕らはいただきますといって、手を合わせて感謝してるよ」といった。
しかしその感謝は、食べられることと生活を支えてくれている親に対してのもので、目の前の命に対してではなかった。

私はふたたび、「その鶏に感謝した方がいいよ」と言っていた。

子供達は素直に鶏に手を合わせて、「ありがとう」、といった。

すると子供達の体から、細かい黒いゴミの粒子のような物が毛穴からたくさん出てきて、もわもわと上昇していった。

そのもわもわは、肉体の中にたまった命たちの想念だと伝わってきた。



現実に戻った私は、たったいま食べたばかりの豚のステーキを思い出す。

家族でおいしいねぇと言い合い、こうしていられることに感謝し、私は幸せだと思っていた。

でも何かを忘れていた。


合掌し、豚の命に「ありがとう」と感謝する。

それと同時に牛や鶏のビジョンが脳裏に浮かび上がってきた。もう一度命にむかって、「ありがとう」と手を合わせる。

体から、子供達と同じように何かが抜け出て上昇して出ていく感覚がやってきた。たくさんのクシャミが出る。身体がすっきりしたようだった。

上昇したそれは、粒子のひとつひとつが、動物たちの命だった。私の肉体の糧になった魂たちだ。

そうしてたくさんの命が上昇したあと、彼らとともにこの肉体で私は生きているのだ、という感覚がやってきた。私は、彼らと一緒にいるのだ。彼らは私の中で生きている。




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