『見る』ときは、目を開けていてもつぶっていてもどちらでも違いはありません。どのようにしても、ただ意識の目で見るだけでいいのです。
ソースに意識を完全に譲り渡したとき、癒しと至福感が訪れます。
エゴの感情が強く出ているとき、その手前で『見る』のをやめれば、うまくいかない感覚が残ることがあるかもしれません。弱いエゴの感情なら簡単に一瞬で消えてなくなりますが、あまりに大きな感情や思考の場合、消されまいとして逆に強く存在をアピールしてきます。
エゴの感情が大きすぎると感じるときは、まず、そのエゴを『見て』ください。
自分から抜け出て、客観的な目で、もう一人のエゴの自分を見つめます。
客観的に観察することで、エゴは力を失います。
そうしてから、『大いなるすべて』を見ます。
『大いなるすべて』から離れたと思ったら、また見ます。その繰り返しです。【見る】・【観察する】という技法はとてもわかりやすいシンプルなものです。思考をやりすごし、見つめ続けていると、やがて癒しが始まります。
「癒されなければならない」という意識は違うものです。これは、「癒しを必要とするわたし」を生み出します。あるいは、その状態を強化します。
ただ【見る】ことによって、本来の自分に戻るだけなのです。
「わたし」という「個の意識」の旅を終え、ソースという本来の意識によって旅を開始するというバトンタッチがなされるだけです。癒しはその切り替えのとき、互いに持っている波動の周波数が違うために自動的に起こることです。癒される為にソースを見る必要があるのではなく、本来の状態に戻る為にあるのです。そのときに、勝手に癒されるわけです。