8月4日から銀座校の「目覚めのコース・5回講座」がスタートしました。
みなさん魂がキラキラと輝いていて、とても素敵な方ばかりです。
そして秘めたるさまざまな才能をお持ちです。
力を解き放ち、これからも本当の自分の力をますます受け取られていくことでしょう。
相模原校も、いよいよ次回で最終講座を迎えます。
今日は彼女から光に満ちた素敵なメールが届き、
あたたかくうれしい気持ちです。
アニメ「宇宙兄弟」で、心に残った一節がありました。
「この中にいるみんなが、
グーであり、パーであり、チョキなんだ。
この中で誰が一番えらいかなんて、あると思うか?」
誰が宇宙飛行士にふさわしいかを、じゃけんで決めることになったときの場面です。
宇宙での業務についたとき、どんなときにどんな
素質を持った人がその場の危機を救うかは未知数。
そうそう。
みんな、ピンクで、赤で、青で、白で、黒で、それでいい。
ピンクが青になろうするから、そこで苦しみが起きる。
みんな、あるがままで、それですばらしい。
講座で「教えること」は、同時に「教わること」でもあります。
講座は、それぞれの生徒さんの状況や魂の声をみながら
すすめていくので、毎回違った授業になっていきます。
そんな講座で提供するものを考えているとき、
私自身がたくさんの新たな発見をしていくのです。
みなさんとの出会いに感謝です。
本日より、南米・ペルー・マチュピチュへの旅に出ます。
帰国は、26日の予定です。
ご質問・ご連絡がありましたらお返事は27日以降となりますので、
よろしくお願いします。
歌里 拝
あるがままのあなたがすばらしい
講座『目覚めのコース』開催決定しました!

~無限の奇跡の扉を開く~
講座「目覚めのコース」開催決定
■日程:8/4(土)、9/1(土)、9/29(土)、10/14(日)、11/10(土)の全5回
■時間:13:30~16:30
■料金:72,000円(全5回分)
■場所:銀座校(一期生)
東京都中央区銀座5-9-14 銀座ニューセントラルビル5F
銀座駅徒歩2分
■定員:5名
○定員になり次第締め切りとなります。
■お申し込み方法
こちらのフォームよりお申し込みください。
■カリキュラム:『目覚めのコース(全5回)』
* 呼吸法
* 瞑想法
* 観察意識メソッド
* 無限変容メソッド
* 思考を止めるコツ
* 変容ワークテクニック
* 無限のフィールド、大いなるすべてにつながる方法
* 神意識になる
* 透視リーディング
* チャネリング
* チャクラリーディング
* チャクラヒーリング
* エネルギープロテクト
* インナーチャイルドリーディング
* アカシックレコードリーディング
* 過去世・ワンネスリーディング
* ソウルリーディング対話法
* 天使とつながる
* 天界・神界につながる
* エンジェルヒーリング
* 人間関係をよくする方法
* エレメントの活用
* 潜在意識を書き換える方法
* 人生の青写真の設定を書き換える方法
* 瞬時に運がよくなる方法
* ペアワーク、ディスカッション、シェア
* グラウンディング
など。
コースの説明:
このコースは、リーディング、チャネリング、ヒーリング、各種メソッドを通じて、意識を目覚めのステージへとシフトさせ、無限の奇跡の扉を開いていく総合的なコースです。
あなたの中の高次元の意識とつながり、内なる神性とつながり、意識を大いなる目覚めへ導いていくための場です。
意識が目覚め、多くの気づきを得ていく中で、人生もまた、自然とシフトしていきます。
さまざまな技法を体験する中で、自分自身を知り、気づいていくことで、本当のあなたにシフトしていきます。本当のあなたは、幸せを受け取ることを許し、あるがままのあなたを愛し、存在のすべてを受け入れています。
目覚めのワークととともに、そんな本当のあなたのあり方にシフトしていきます。
参加条件など:
・20歳以上の方。
・心身ともに健康で、楽しく協力的に参加していただける方。
・全5回の講座に参加できる方。
(お休みされた場合、相模原校にて無料で補講が可能です)
このコースを終了した方は・・・
・全講座終了後、修了書をお渡します。
・講座で学んだ技法で自分自身や他者に施術することができます。

詳しくは「インフィニット・グレイス公式ホームページ」をご覧ください。
ワクワクを受け取ろう!
googleの検索ロゴがおもしろいことになっていますね!
https://www.google.co.jp/

なにげなくイラストの鍵盤をクリックしてみたら、本当に音が鳴って、思わず(お?)と前のめりに(笑)。
さらに、正面のつまみをグルグリいじると、音質が変わったのですよ。(おおお~)。
右の赤いボタンを押すと録音&再生までできてしまい(おおおお~~)。なんとこの画面で多重録音までできるらしいです。感嘆。
電子工学者・ロバートモーグの生誕を記念して創られたそうです。
googleは、遊び心がありますね。
このたくさんのつまみをみていたら、「マトリックス・エナジェティクス・レベル3」で学んだラジオニクスの変容テクニックをふと思い出しました。
ラジオニクスとは、生体エネルギーや波動を調整して治療する機器のことなのですが、それを意識で利用して変容に使う。
つまりはもう、意識であつかえるものならなんでもできてしまう。
それだけ私たち人間の意識はすごいものなんですね。
人間をふくめ、すべてのものは波動の存在であり、音や振動・波動に共鳴していて、互いに影響しあっています。
いまここで、私たちがなにを意識するかで、いまここの肉体の状態も、生み出す創造の世界も、決まっていきます。
ワクワクするほう、心地イイほう、楽しい気持ちのほう、に意識をむければ、ワクワクすること、心地いいこと、楽しいことを引き寄せます。
私もつい最近、あらためてワクワクを意識して許可したことがありました。
当初、ほんとうにワクワクすることがあるのに、そのことにちょっぴり制限をかけていたことに気づいたのですね。
そのために、「どうもそっちを実現するのはむずかしいかも?」という状況を引き寄せていたのです。
それに気づいた時点で、「ワクワクしていんだよ、思い切り楽しんでいいんだよ」と潜在意識の書き換えを行ったら、
すーっと霧が晴れるように奇跡的にトントン拍子にそっちが実現する話がすすんだのです。
本当のワクワクを手にするために、私はただ、受け取り許可を出すだけでよかったのです。
宇宙の恩恵はつねに私たちに降り注いでいて、そこにフタをしているのは私たちのほう、なんですね。
たくさんの恩恵があなたにも降り注いでいます。
ワクワクすること、楽しいこと、受け取っていいのです。
許可、許可、許可、です。
…ところで、何を検索しようとしてgoogleを開いたんだっけ?
何を検索しようとしたのか忘れてしまったのでした。
変わりにブログを書いて…。これも恩恵ですね(笑。
潜在意識が決めている
ものごとが起きるか、起きないか。
それは、ただあなたがそれが起きることを 「潜在意識で許可しているか、どうか」 です。
ただそれだけ。
マインドで「望んでいる!」と思っていても、潜在意識が抵抗している、ということがあります。
すると、マインドと潜在意識との間に「葛藤」、という「抵抗」が生まれます。
この「抵抗のエネルギー」がさまざまな精神的・肉体的な不具合を出して、「わたしには、それに抵抗があるだよ~」という「シグナル」を送って来てくれます。
その潜在意識の多くの声は、「変わりたくない!」というもの。
「変われるわけがない!」という声もあります。
私たちにとって、「これまでどおりの自分」が一番安心なのです。
あなたが望むものを
本当に受け入れる「許可」が必要です。
あなたの中に
受け入れる「スペース」が必要です。
「抵抗」と戦う必要はありません。
「大変さ」はありません。
「敵」もどこにもいません。
登るべき「山」は最初からなかったのです。
目覚めていくと、「山はなかったんだ」と気づきます。
「山はなかった」という瞑想をするだけでも、気づきは得られます。
あなたが望むものは、すでにそこにあったのです。
大いなるすべて・無限に、抵抗をあずけてください。
「抵抗」を取りはずすのは、「マインド」を取り外すことと同じ。
頭頂部のクラウンチャクラを開けて・・・
マインドも抵抗も、無限にゆだねて、ゆだねて。
「あとはよろしくたのみます」。
あなたを傷つけるのは、誰?
誰かを傷つけるのも、誰かから傷つけられるのも、同じ成分(バイブレーション)からできています。
「誰かが」あなたを傷つけるのだとしたら、その「誰か」とは「あなたの中で振動しているバイブレーション」です。
そして「あなたが」誰かを傷つけるのも、同じバイブレーションです。
あなたがその振動を出さなければ、誰もあなたを傷つけることはできないし、あなたはあなたを傷つけることができなくなります。
他者にみえる「誰か」は、「あなた」です。
そして、ここにはもうひとつの真実があります。
そのバイブレーションは、「あなたそのものではない」ということ。
この世界には、あらゆる振動があります。
その振動は、選べるのです。
自ら、選択してください。
【大いなるすべて】【ソース・根源】から降り注ぐ光で、あなたを満たしてください。
そのときに感じるバイブレーションが、本当のあなたです。
***
*3つの家族の物語*
”声”によって見せられた3つのビジョンの最後は、母親が少女(娘)を殴っているシーンだった。
少女がベッドに横になると、私の体はそこへ向かう。
「 大丈夫だよ。あなたは悪くないよ。誰もあなたを傷つけることはできないからね。あなたは悪くないのだからね。」
「ほんとうに?私は、悪くないの?叩かれなくてもいいの?」
泣いていた少女はやがて、安心したように眠りにつく。
今度は、 体が母親に向かう。寄り添い、ねぎらいの言葉が出る。
すると母親が、堰を切ったように話し出す。
「私は、自分の感情を止められません。かーっとなると、 見境がなくなるのです。子供が親にむかって何様だ!と怒りが止められません。自分のプライドを傷つけられたような気分になるのです。自分でもこの感情のコントロールができずに、苦しいのです。」
「お母さん、その怒りを取ってあげられますが、どうしますか。そうしたら今後二度と、そのコントロールできない怒りの感情に苦しむことはなくなります」
母親は一瞬、光を見出したようにパッと明るい表情になったが、すぐに暗い顔に戻った。
「でも怒らないでそれをほうっておいたら、どうなるかわかりません。娘の反抗的な態度がエスカレートしても困ります。怒りは、しつけのためにも必要なのです」
「ではお母さん、ずっとこのまま怒りをコントロールできない自分に苦しむか、怒りを手放して叱ることのできるお母さんになるか、どちらかの選択ができますが、どうしますか」
母親は、ハッと気づいたような顔になった。
「ああ、そうですね。私は、怒るということと、叱るということを混同していました。怒りを手放して、自分が冷静になって、はじめて叱るということができるのですね。私は、娘にただ恐れを植え付けていただけだったのですね。 気づかせてくれてありがとうございます。では、その怒りを取っていただけますか?」
すると私は意外にも、こんな言葉を口にした。
「お母さん、すでにお母さんからは怒りが取れていますよ。私は、何もやっていません。お母さんが自分で怒りの玉を取ったのです。これからは、コントロールできない怒りが現れることはないでしょう。だってもう、怒りの元がないのですから」
母親は、えっ、という顔をしたが、なにかが変わっている、という感覚を確かに感じたようだった。
***
このビジョンのあと、現実に戻った私の中から、「怒りの玉」が消えてなくなっていた。
それから何週間か、怒りの感情がどういうものか思い出せなくなっていた。
***
人が怒りを手放そうとしない理由は、いくつかある。
その怒りが、「何かの役にたっている」と、無意識に感じているのである。
「この怒りを手放したら、どうなる?」と自分に聞いてみるといい。
何かの信念がみえてきたら、「本当にそれは真実か?」と問いかけていく。
こうやって、「怒りは手放してもいいのだ」と自分に気づかせてあげることだ。
***
私はずいぶん前に、マンションのエレベーターで、ある姉弟に出くわした。
小学校高学年と低学年くらいの普通の姉弟である。
普通じゃなかったのは、エレベーターの中で、姉が弟を勢いよく「グー」で殴りつけことだ。
「ゴツ!」と鈍い音がして、その衝撃たるや見ていた私が、息をのんだくらいである。
姉のエネルギーは、怒りというより、「憎しみ」に近いようなものでできていて、私は近年、こんなエネルギーの子供はあまり身近にみたことがなかったので、驚いてしまった。
ところがもっと驚いたのは、殴られたほうの弟は、普通の人間ならばとっさに取るであろう「防御」の姿勢を一切とらず、ただ突っ立って、殴られるままにされていたのだ。
構えるようなエネルギーの収縮もない。まるで、人形を殴っているかのようである。とても奇妙な感じがした。
彼は、なんでもないというような笑顔を浮かべて、私に、「ごめんなさいねぇ、こんなんで…」と姉の暴力を私に謝罪するという、これまた状況には不似合いな態度をみせた。
しかし「ごめんなさいねぇ」という弟の態度が気に入らないとばかりに、姉がもう一発、弟の頭を殴る。
私は内側に膨大なエネルギーが沸き立つのを感じて、咄嗟に「殴っては、だめ!!!」と大きな声を出していた。
エレベーターの中が、「シーン」と静まりかえり、彼女の振り上げた手が止まったのだが、そのまま彼女はうつむきながら沸き立つ怒りを押さえ込んでいるようにみえた。
男の子は、「ほらね(怒られたでしょ)」といい、またもや、なんでもないような表情を浮かべていた。
エレベーターを降りてから気づいたことは、彼らの背景にあるもっと深い部分だった。
彼女からは、彼女自身が暴力を受けているシーンが見えてきていた。
彼女は、自分が傷ついた怒りを、物や、他人や、弟に、向けずにはいられない衝動にかられ、コントロールできずにいた。
男の子からは、自分で自分の腕をナイフで傷つけているシーンが見えてきていた。
抑えきれない怒りや、「何かがおかしい」と感じる行動の背後には、何かが潜んでいることがある。
ただ叱るだけでは、本当の解決にはならない。
***
カウンセリングをやっていて、「激しい怒りがコントロールできない」という相談を受けることがある。
実はそういう人も、身内に傷つけられたり、大切な人から裏切られたりした悲しみ、憎しみ、怒りを、長年、かかえている。
傷つけられた悲しみは、やがて「怒り」となって、自分や他人を傷つけるバイブレーションの種となる。
内部にその「怒りの玉」があると、それは自分や他人を傷つける原動力となり、「いまここ」で発揮してしまうのである。
そういうものがあるとき、
「体罰」や「虐待」などというあきらかな現象ではなくても、
言葉によって、態度によって、扱われ方によって、
傷つけたり、傷つけられたりしているのである。
それが「外」に向かえば、【人を傷つける人】となり、
それが「内」に向かえば、【自分を傷つける人】となるのである。
でももう、このループは、終わらせよう。
変われるのは、私たち自身でしかない。
被害者も加害者も、同じ「バイブレーション」を持つもの同士でなければ、同じ劇場で演じることはできない。
演者のうち、誰かひとりがバイブレーションを変えたなら、登場人物のすべてが変化する。これは法則だ。
すべての悲しみも憎しみも怒りも、
私たちの中にある「バイブレーション」が映し出した幻なのだ。
目覚めると同時に、すべてが幻だったと気づく。
「傷つけたように振舞った相手」が、私たちを深く愛していることに気づく。
そちらが、真実だ。
感情は吐き出していい。
みつめて、解放していくことで、捨てる段階にたどり着くことがある。
そうして感情を解放したあとは、「いまここ」に、私たちの望むバイブレーションを生みだそう。
と、同時に、「それは本当に私のバイブレーションか?」と問うていく必要もある。
ただ単に、オーラが拡大しすぎてそこらへんのものを拾ってしまっただけ、ということがある。
それに気づいてソースに戻れば、あっさり感情も、そして信念でさえも変わることがある。
どんなやり方でもいい。
望むバイブレーションを選択していこうという、意図を持てばいい。
【大いなるすべて】【ソース】の光の中にそれは「有る」。
私たちは、
誰も本当には自分を傷つけることはできない、と知っている。
私たち自身がすでに許されている、と知っている。
怒りを手放しても、私たちは守られている、と知っている。
そして必要なことは必要な形で成されていく、と知っている。
いつでも、ただ、ソースに戻っていけばいい。
心に寄り添うということ
次に見えてきたのは、アメリカで農業を営んでいる父親と息子の姿だ。
畑を耕している父親からは、「勉強なんかいいから、家業を手伝え」、という息子に対しての思いが伝わってくる。
息子からは、「もっと勉強したいがその自由がない」、という思いが伝わってくる。
息子のフォローでもするのだろうとかと私はなりゆきを見守っていたが、
私の体は、父親のもとへ向く。
みえない ”声” がまた言った。
「口をついて出た言葉を相手に伝えなさい」
私のマインドは、「この父親を説得した方がいい」と言っていた。
しかし私の口がこう言った。
「大変ですね、お疲れではないですか」
それと同時に、一瞬にして現実の私のバイブレーションが変化した。
この父親に、ただ、おだやかに心が寄り添っていた。
父親は、私の言葉に、驚いたようなヾ(≧Д≦)ノをした。 あ、間違えた、
父親は、驚いたような顔をした。
「そんなねぎらいをもらったのは初めてだ。
みんな、息子を勉強させてやれだの、好きにさせてやれだのと俺を責めてばかりいる。
俺は小さい頃から働かされてばかりで、勉強なんてさせてももらえなかった。
そう言うとみんな、だからこそ自分の息子には自分ができなかったことをさせてやりたいと思うもんじゃないのかって、言いやがる。そんなの綺麗事なんだよ。現に、こうやって家族全員で働かないことには、食べていけないんだから。 」
父親は、心の内を一気にまくしたてた。
私は、父親の話を聞きながら、なおも寄り添う心のありようを感じながら、
「そうですね、大変ですね。これまではお父さん一人で大変でしたね」
と耳を傾けている。
「そうなんだ、これまで俺は自分を犠牲にして家族の為にずっと頑張ってきたんだ。これまで、必死で働いてきた。本当に大変だったんだ。でも本当は、俺だって自分の時間がほしかったんだよ」
父親の目に涙が浮かんだ。
私はうなづくばかりだ。
しばらくそうして話し切ると、父親はエネルギーが澄んだようになった。
「ありがとう。話を聞いてくれて。なんだか楽になれたよ。
俺がほしかったものは、息子の手伝いじゃなくて、ねぎらいの言葉だったのかもしれない」
その言葉は、現実の私を驚かせた。
「ねぎらいの言葉がほしかった」
その父親の言葉は、なぜだか、私の心をゆさぶったのだ。
立ち上がった父親は、私に黄色やオレンジや赤の液体の入った小さな瓶を差し出した。
「お姉さん、これを飲むといいよ。
俺や息子はこれを飲んでいるから、体力だけには恵まれているんだ。
これを飲めば、エネルギーに満ち溢れる肉体になる」
私は、その瓶を受け取ってお礼を言った。
次にその親子の数年後の世界に飛ぶ。
アメリカの大学で博士号をとり、その帽子をかぶりながら卒業証書を持つ息子が、父親の肩を抱いている。
息子も父親も、満面の笑顔だ。
その笑顔に、私のハートが共鳴した。

現実に戻ってきた私は、瓶を飲み干す。
元気になる、という例の液体だ。
クンダリーニがやさしい精妙なエネルギーで震えだし、体内でエネルギーが活性化していくのがわかった。
ついで、頭頂部のチャクラから、天のエネルギーが貫いていき、高い波動に覆われ、大きなくしゃみが出る。
不思議なことに、この日から私の肉体が変化していた。
心臓の脈打ちが力強くなり、全身の血流が「いまここに生きている」と言っているようだった。
私はつい先週、別の人から、『このヴィジョンと全く逆の父親の話』 を聞かされたばかりだ。
この父親も、子供の頃にあまり勉強させてもらえなかったという。
違ったのは、「自分ができなかったからこそ、自分の子供にはさせてやりたい」という思いが強かったこと。
だがその思いが強すぎるために、毎日のように「勉強しろ!」と小学生の子供を怒るようになり、
相談してきたその女性は、そのやりとりを聞いているのがつらい、と話していた。
その子供はつい最近、中学受験を終えたばかりだった。
しかし、「この時期こそ、大切なのだ!」と父親は言う。
「この時期に塾に通ってしっかり勉強しなければ、せっかくいい中学に入学してもついていけなくなる」と。
私は、胸が苦しくなった。
子供は叱られても勉強しなくなり、一日中ゲームをしているそうだ。
ついには子供が口を聞かなくなり、「早く家を出たい」と口走るようになったという。
「私も少しほっとさせてやりたいと思うんだけどね」
そういいながら、話していくほどに、彼女の信念は違うことを語っていた。
「いい大学に入ればそれだけ選択肢が増える」
「私の会社でも、今幹部になれているのは全員○○以上のレベルの大学の人だけ」
「夫の言うとおり、この時期が大切だって、たまたま開いたお受験の本に書いてあった」
なるほど、と引き込まれそうになってはいけない 笑
ソースの観察意識は、
「なーんだ、あなた自身がそう思っているから、その世界をみているのね」
となる。
もしも、
「この時期に新たに塾に通ってしっかり勉強しなければついていけなくなる」
と思っているならば、そのとおりにするのもいい。
その信念のとおりに、現実は作られていくからだ。
失敗しない方法は、本質に気づくか、現実をがんばるか、だ。
「受験合格おめでとう」と子供に声をかけたら、
「学校に入って勉強ついていけるかどうか、不安なんだ」
と言った。
さて。
この家族でさえも、私が作り出したホログラムだとしたら、
私自身があのビジョンで教えられたことは、なんだったろう。
問いかけのあと、内にやってきたのは、
あの父親に寄り添っていたときの、おだやかな神意識だ。
この日、私はこの女性と「若くして亡くなった子供の両親の話」を一緒に聞いた。
「ただ子供がそこにいてくれることの大切さを思い出し、抱きしめてあげてください」
というメッセージだった。
この話に至るために、二人の間に、たくさんのシンクロニシティがやってきていた。
天が、あらかじめ用意していたシナリオだ。
すべては、起こることが起きていく。
説得も、同情も、苦しみへの共鳴も、必要ない。
この家族の心に、私はただおだやかに寄り添うことにしよう。
命へ感謝
高次元につないだ瞑想をしていたとき、みえない声が、こう告げた。
はじめて聞く声。
「あなたにやってもらいたいことがある。
数千年も太古の昔から、我が一族が使命としてやり続けてきたことがある。
ある場所へ意識でいき、そこで会う人々に伝えて欲しいことがある」
そして意識を ”ある場所” というフィールドに飛ばされた。
3つの家族の形をみせられた。
時間にして2、30分くらいのことだったろうか。
記録に残そうとして、ノートを開く。
ああ、思い出した。
最初は、男が鶏を殺しているシーンが出てきたのだ。
次に見えてきたのは、家族でそれを食べているシーンだ。
男からは、「好きなように生きて好きなものを食べて何が悪い」という感じが伝わってきた。
”声”が言う。
「口からついて出てきた言葉を伝えなさい」
私は、いつの間にか家族の食卓の前に立っていた。
私の口が勝手に、「感謝した方がいいよ」と言った。
私は観察意識そのものであったり、
自分の姿を客観的に見たりと、いろんな視点からその映像をとらえているようだった。
小学生くらいの二人の息子たちが、
「僕らはいただきますといって、手を合わせて感謝してるよ」といった。
しかしその感謝は、食べられることと生活を支えてくれている親に対してのもので、目の前の命に対してではなかった。
私はふたたび、「その鶏に感謝した方がいいよ」と言っていた。
子供達は素直に鶏に手を合わせて、「ありがとう」、といった。
すると子供達の体から、細かい黒いゴミの粒子のような物が毛穴からたくさん出てきて、もわもわと上昇していった。
そのもわもわは、肉体の中にたまった命たちの想念だと伝わってきた。
現実に戻った私は、たったいま食べたばかりの豚のステーキを思い出す。
家族でおいしいねぇと言い合い、こうしていられることに感謝し、私は幸せだと思っていた。
でも何かを忘れていた。
合掌し、豚の命に「ありがとう」と感謝する。
それと同時に牛や鶏のビジョンが脳裏に浮かび上がってきた。もう一度命にむかって、「ありがとう」と手を合わせる。
体から、子供達と同じように何かが抜け出て上昇して出ていく感覚がやってきた。たくさんのクシャミが出る。身体がすっきりしたようだった。
上昇したそれは、粒子のひとつひとつが、動物たちの命だった。私の肉体の糧になった魂たちだ。
そうしてたくさんの命が上昇したあと、彼らとともにこの肉体で私は生きているのだ、という感覚がやってきた。私は、彼らと一緒にいるのだ。彼らは私の中で生きている。